透き通った闇

 「日本の風習は何かの繰返しみたいに意味がないことが多いんだ。」
 あなたは私が気にする今の私が置かれた立場や訳のわからないような中傷などを忘
れさせようとわざと低い声で話す。
 「だから日本の文化はヨーロッパのような筋の通った深みがない。君が気にしているのはそんな不穏な部分なんだ。」

 私はしきりに何かを気にする。静かに生きているつもりの私でも意地やプライドがあって、性懲りもなくつきまとっている何人かの男たちに身の危険をおぼえながらもどこかに惹かれていく自分が可愛いと思えて、あなたを心配させる企てをこさえて、いつも私にあなたが連絡を取るように仕組んでいてそれは電話でもいい、モバイルでもいいから注目させるようにしている。

 あなたはいつも私のことをすっと表面的になぞって、
 「君のことをいずれ小説に書きたい。」と言ったり、そんなに素晴らしいとは私は思わないのだがあなたの感性なのか、
 「君のことを永遠に忘れないためにも絵
にして残したいんだ。」
わかっていてもあなたのそんな微小な煌(きらめ)きのある言葉に少しずつ気分がたかまってくる。あなたは私のそんな浅はかさをよく知っていて、あなたの狡猾(こうかつ)な笑みの中に私をとじ込めてしまう。私がこんなにも愚かに理由なく騙されるのはあなたが世にいう、一流のミュージシャンだからなのだ。

 とめどなく何かを伝えるちからはたぶん私にはなくてあなたにだけ特に備わった才能なのだから。あなたから発散する特別な香りやオーラは勝手に私や私以外のまわりのすべてをときめかせる。

 私には明らかに二面性がある。それはまだというかこれからもずっとあなたに気づかれたりしない部分にしておきたいと思っているのだが、表向きのしっとりとしたおとなしさと真逆の挑戦的な熱さをもっている。

 たぶん明日私をとりまく男のうちの一人が私のもとに訪ねてきて、それを機会にしてその男は少し長く纏(まつ)わりつくはずのだ。男はけして端正ではなくどちらかというと怠惰な、日常のカーテンの鍵穴のように、見逃せない隙間をちらつかせる怪しさの漂うもう若くない男なのだ。

 私はその男に私のどちらの側を曝そうか迷っている。ベールを纏(まと)っても所詮それは似つかない化粧よりも危うくてすぐにその男に見抜かれてしまうのだが、こんなふうに、あなたと私にとって有意義でない展開を心待ちしている自分は紛れもなくあなたに対する挑戦的な部分だと思う。

 こんな行動をしてあなたの気をひこうとか心配させてみようとかではなく、いわばゲームのようなプレイのような感覚であなたの空白に思いつきの色づけをしてみたいだけなのだ。その男はきっと私の中に入ってくる。隈なくからだを求めてくるにきまっているし、男に抱かれてもあなたのことを忘れないなんて鹽(しお)らしく思わない。私は意地悪くあなたのことを片隅に置いて知らないふりをしておこうと思う。

 そうしていても私は突然のようにあなたのからだの最も美しい部分のことを思いだしてしまう。私の髪を乱れさせる吸いつくように柔らかい広くて美しい背中の肌を。それはディテールなことなのかはよくわからないが、私を無心の状態にしてしまう魔法のような肌感で、いつか私は何度もその美肌に歯形を刻んだことがある。あなたは少しも痛がらないし怒ったりもしないで、憎いように優しい眼差しで私を諭(さと)した。

 あまり根詰めて考えたり物事に執着してはいけないのだと、忘れた頃私のところにやってくるたぶんあなたが送りこんだ医者が言う。私は考えすぎたり先のことを思い煩ったり、そしてあなたのことを嫉妬したり疑ったりしてはいけないのだと言う。

「何も考えないでその時その時で君のしたいことをすることが大事なんだよ。」
あなたはすぐそんなことを言う。

 もしかするとあなたは私を迷いから醒ますための手だてとして白い布に包まれた私をさらに孤独にするだけの心を閉ざす無頼(ぶらい)なのかもしれないと思う。